慶應義塾大学ビジネス・スクール特別公開講座として、バーラット・N・アナンド教授(ハーバード・ビジネススクール)による講演“The Content Trap : A Strategist’s Guide to Digital Change”が、2016年8月3日、同大学三田キャンパス北館ホールにて、約180名の聴講者を得て開催されました。講演では、デジタル技術がビジネス界にもたらした3つの“Change(変化)”の重要性が、「代替財と補完財」という概念を用いて説明されました。
“Change(変化)”の1つめは新聞業界における変化です。従来、新聞の購読者数は1990年代に普及したインターネットの影響により劇的に減少したと思われていましたが、実際には60年前から年々わずかずつ減少し続けているというデータが示されました。しかし、デジタル技術が新聞業界に与えた真の経営インパクトは、購読者数の減少ではなく、“Classified広告” と呼ばれる、読者が広告を見て行動を起こす広告(例えば求人広告や商品の販売広告など)からの収入の減少でした。Classified広告では、利用者(顧客)同士のつながりにより広告へのアクセス数が増えるので、より大勢の利用者が集うサイトに掲載するのが効果的になります。したがって、Classified広告における新聞のシェアが一気に減るという現象を生じました。
一般的に、デジタル技術が普及すると、製品やサービスによっては、その品質が良いからでなく、周囲の友人が使っているから購入するというケースが増えてきます。こうした「ネットワーク効果(Network Effect)」が生じる財では、勝者が全てのマーケットを手に入れ、敗者は極めて短期に全てのシェアを失うことになります。経営者はこうした競争ルールの変化について注意を払うべきであるということが、いくつかの事例を用いて説明されました。
2つめは、音楽業界の変化です。レコード、カセットテープ、CD、そしてデジタルファイルへと音楽配信技術は変化し、古いフォーマットの業界は大きなダメージを受けたと思われています。新しいフォーマットは古いフォーマットの“Substitute(代替財)”であり、最大の脅威と考えられているからです。しかし、CDからデジタルフォーマットに移行した後、ライブやコンサートへの来場者は大きく増加しています。音楽業界全体にとってみれば“Complementary(補完財)”が生まれているのです。ある個別の事業だけに固執していると、新しいデジタル技術の出現は代替財で最大の脅威となりますが、業界全体を経営の対象にすれば新技術は補完財となり、事業の拡大を実現出来ることが示されました。
そして最後の変化は、情報のデジタル化がもたらす一貫性の欠如です。デジタル情報には、速報性、アクセスの簡便性、検索機能、双方向性、低価格などの特長がありますが、それぞれの情報の関連性は考慮されないケースがほとんどです。一方で、英国の政治経済紙 The Economistは、一見関連が無いように見える多様な情報(事件、事象)を編集サイドが徹底的に分析し、情報の背景と根底にある問題を、1日に1回だけ更新するウェブサイトで読者に提供するスタイルを貫き、成功を収めていることが紹介されました。
今まで、経営者はより良い商品・サービスを提供することを追求してきましたが、デジタル社会においては、顧客同士や、商品間のつながりがより重要になってきます。したがって、厳密にProductの品質を追求するよりも、顧客が何を求めているかに関心を払い、顧客同士、あるいは顧客と企業をいかにConnectしていくかが多くの企業で大切になっています。そしてその成否は、経営陣がProductのQualityやCustomerのConnectivityをどう定義してビジネスに取り組むかにより左右されます。IT技術がビジネスの成否を左右するという理解は適切ではなく、経営陣の考えが反映されやすい時代になっているという示唆が、講演のまとめとして示されました。
講演後の質疑応答では、商品・サービスの Quality やユーザー・コネクションに関するより具体的なQ & A が活発に交わされました。
参加者の声
- 「素晴らしい講演で気づきが多かった。代替財と補完財の考え方がおもしろかった。また、インターネットが新聞の発行部数に多大な影響を及ぼしていると思っていたが実は違った。今後の戦略の決定に大きく影響する内容であった。」
- 「講義の後の質疑応答がケーススタディとして理解を深めるのに非常に役立ちました。受講者の様々な視点に触れることができ、自身にとっても良い刺激を受けることができ有益な時間であった。」
- 「消費者の行動様式からビジネスを見ることの重要性を感じ、大変有意義なレクチャーでした。特に代替と補完の考え方は色々な現象に役立つと思った。」
- 「IT業界においてのプラットフォーム、ユーザー同士の繋がりの重要性が分かりました。また、今後勉強することが明確になり、とても貴重な経験が得られた。」
- 「Economistの成功事例から、コンシステンシー(首尾一貫性)の重要性を改めて認識させられた。何を自らの強みとして育てていくのかが大切なのであり、それ以外の要員は自らの強みを補完するものとして利用していけば良いということが理解できたことは収穫だった。」
- 「現在、新聞社と向き合っている仕事をしている。そこでの課題は新聞(紙)のデジタル化であり、何が正解なのか苦戦している。今回、私個人としては直面しているトピックであり、日々の業務、これからの戦略立案に際して非常に参考になった。」
開催概要
タイトル | “The Content Trap: A Strategist’s Guide to Digital Change” |
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講師 | バーラット・N・アナンド教授(ハーバード・ビジネススクール教授) |
開催日時 | 2016年8月3日(水)19:00~21:00(18:30開場) |
会場 | 慶應義塾大学 三田キャンパス 北館ホール 会場アクセス |
参加費 | 無料 |
定員 | 200名(先着順) |
言語 | 英語 ※逐次通訳つき |
担当講師

Bharat N. Anand/バーラット・N・アナンド教授
ハーバード・ビジネス・スクール教授
ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のヘンリー・R.・バイヤーズ経営学教授で戦略部門に所属し、同校のオンライン教育プログラムであるHBXの教員総責任者。ハーバード大学のMOOC「HarvardX」の教員委員会メンバー。研究分野は、デジタル戦略、企業戦略、メディア戦略。HBSのエグゼクティブ向けメディア戦略プログラムの創設共同責任者で、MBAプログラムの戦略コースの教員責任者をつとめている。また、HBSのCTAMエグゼクティブプログラムの共同責任者。50編を超える論文・ケースを著し、それらの多くは経済学・戦略論・マーケティング分野のトップジャーナルに掲載されている。世界中の多数の機関のコンサルテーションを行っており、各種メディアに業績が紹介されている。最近のデジタル・トランスフォーメーションに関する研究では、企業が直面する2つの戦略的チャレンジを深堀している:すなわち、消費者にとって広く手に入れることができる選択肢の中から「認識してもらう」こと、作り出したものに「対価を支払ってもらうこと」。近著の” The Content Trap: A Strategist’s Guide to Digital Change”は、ランダム・ハウス社から本年秋に出版の予定。
ハーバード大学から経済学士(優等)を、プリンストン大学から経済学博士号をそれぞれ取得。プリンストン大学では、Princeton Junior Society of Fellowsに推挙された。
また、HBSへの顕著な貢献に対して、HBSのGreenhill賞を受賞、HBSのBest Teacher賞を2度受賞している。
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